いまここね

どんなだってこれが今の自分

スピリチュアルということ

最近いろいろとスピリチュアルなものに触れたりしている。

人に話せば「ああ、行き着くところに行ったのね」

と言われそうでちょっとバランスが取りづらい。

 

でも結局スピリチュアルとは「自分を大切にすること、自分を愛すること」だと思う。

そんなのわかってるよ、って思いがちだけど意外とみんな自分に無関心だったりする。

他人にばかり関心がある。

でも、自分が大好きじゃないと人もちゃんと愛せない。

愛だと思ったら依存だったってことになりかねない。

少なくともわたしはそうだった。

 

自分が何を大切にしているか、何が好きで何が嫌いなのか、

本当はどうしたいのか、

ちゃんと自分のこころの声を聞いてあげないと、

自分をないがしろにしていると、

どんどんわからなくなって曖昧になってしまう。

しまいには自分が自分でなくなっていく。

だから人に答えを求めてすがってしまう。

藁をもつかむ想いでスピリチュアルな方向に行ってそれが、

新興宗教だったとしたら、、と想像するとやはり怖い。

 

具合の悪さがピークだった頃、ある人に依存状態になっていた。

その人はとある新興宗教の人だったのは前から知っていたけれど、

弱った時に引き寄せられるようにそういう人に近づいてしまうことってあると思う。

結局集会に来ないか?と誘われたけれど、

他の宗教や信仰を邪教とする考えがどうもわたしの思想に合わなくて無理

と思ってその人とは結局離れてしまった。

わたしは仏教より神道のほうがしっくりくる。

(でも四国遍路とかしたこともある)

その時のわたしは直感が働いて自分に合わないものを察知できたから良かった。

ただわたしはその新興宗教を信仰している人を否定するつもりはない。

幸せならそれもまたいいのだから。

ただ、人の信仰を否定批判することが好きじゃないだけ。

 

 

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それからジェムリンガに関するブログやまとめサイトを読んだ。

正直ぞっとした。

男性が女性の子宮を閉じてしまうものを推奨しているということが怖いと思った。

女性を抑圧して支配しようとする男性の恐ろしさを感じた。

上記のブログにもあったけど、どうして自然に開いているものを塞ぐ必要があるのか、

本当に必要なのであればすでに自然と体の仕組がそうなっていたはずだとあるけど、

正にその通りだと思った。

わたしは一時期性交渉を埋められない溝を埋める行為だと思っていた

時期があったのだけれど、そんな女性のこころのすきまに入り込んでくる

卑しさみたいなものがあるように思えた。

上手く言えないけど思い込みの怖さとか、

スピ系に妄信するする人の不自然さみたいなものをすごく感じた。

スピリチュアルを辿っていると、必ず起こる違和感がここにもあった。

 

 

スピリチュアルの違和感は他にもある。

キラキラ〜うふふ〜嫌なものもぜーんぶ肯定しちゃいましょう☆

ノリが苦手だ。全部肯定出来てたら人間やってません。

でもスピ系の人ってそういう人が多い。自分に不都合なことは応えないとか。

変な交わし方をするとか。理解出来ない人にやさしくないとか。

分かる人同士の結束力とか。

あなたも特別な人間なのよ〜とか言ってみたりするところとか。

選ばれた人間とか、過去世がどうとか、わたしは正直どちらでもいい。

劣等感を感じたくないし、今をていねいに生きたい。

 

本来のスピリチュアルって、カルトじゃないし、キラキラうふふでもなくて、

今この瞬間をていねいに大切に生きることで、ただそこにあるだけのものだと思う。

このブログのタイトルの「いまここね」

ってそういう意味が含まれてるんだよじつはね。