いまここね

どんなだってこれが今の自分

歯のこと

今年最初のブログが歯医者の愚痴っていうのもなんだかなー、だけれど、憤っているのでうじうじ書く。


歯医者にも行けない位引きこもりが重症化している。

まず自分のパーソナルエリアに見知らぬ他人がガッツリ入り込んでくることに激しい抵抗感。口は一番デリケートな部分だと思っているので、相手に信頼感がなければ不安しかない。髪と同じ位他人にやすやすと触れられたくない部分だ。同じ理由で美容院も激しく苦手なので自分で切っている。メンタルがアレな時は更にその抵抗感は強くなる。


無職のため治療費がどの位かかるのかは死活問題なので、情けないことを承知で問い合わせたけれど、予想通り最初の2軒で「なにを聞いてくるんだこいつは」みたいな扱いを受ける。被害妄想が激しいのかもしれないけれど、不安が強い患者に冷たく「診てみないと分かりません」と突き放した一言には絶望しかなくてもう無理ぽ、と、泣いた。


それでも痛みを感じている歯をこれ以上放置できないし行くしかないので、カッスカスの勇気を振り絞って電話をかけた3軒目でやっと受付の対応が良かった歯医者に行った。



その歯医者は電話対応してくれた人が丁寧で素晴らしかったのだけど、受付も先生も忙しそうでかなり事務的だった。


歯医者は痛いから嫌いと言うより、大したコミュニケーションもせずガンガン歯を削られてしまうことが悲しくて嫌だ。今まで経験してきた歯医者は充分な説明もこちらの納得もないままに治療を進めていった。一生元に戻らない歯を簡単に斬り捨てて行く感じに虚しさを感じる。歯の状態が悪いと神経を抜かれてしまう。神経が通っていない歯は死んでいるような気がする。歯を殺すことになったのは自分のせいだってわかっていても、悲しい。


そして今日またその歯医者の予約の日。とてもつなく憂鬱で堪らなくて眠れない。

雨がザーザー降ってるし、冬真っ盛りの気候だし、行きたくない。銭もない。泣ける。たぶん行かない。


技術があって、ちゃんと納得するまで説明してくれて威圧感がなくてなんでも話せるやさしい歯医者求む。

これってわがまま?でも嫌だと思いながら憂鬱で逃げ出したくなるような場所には通えない。




10/2

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手創り市@鬼子母神

はじめての手創り市

すごくいい場所だったし色々勉強になる。寺の中に駄菓子屋があって、その空気感がたまらなかった。丁寧にひとつひとつ作られた木のボタンを買ったので、それに似合うお気に入りの服を作ろう。


🌑 🌚 🌝 🌙 🌑 🌛


悟れなくったって全力で自分のこと助けるよ

全ては自分次第で幸せにも不幸にもなるから

わたしは自分を幸せにする

10/1

10月1日は新月🌑

パソコンが壊れてスマホから。


サンティエゴ・デ・コンポステラへの巡礼の旅の展示へ行ってきた。愛に溢れていて素晴らしかった。ありがとうが積み重なると愛も膨らんでいく。忘れてしまっていた人と関わる事の素晴らしさを思い出させてくれた。ただそこにあるということの美しさ。ただそこにいられることの尊さ。自然は偉大で自分はちっぽけだ。なんて傲慢なのだろう。そんなわたしですら慈しもう。全てを愛したい。もう自分をねじ伏せて偽ったりしない。

弱かったから今まで生きてこれた

健全です。

何かおかしいのはあたりまえとなっている世間の方かもしれませんよ。

世間の基準と言われる何かからしたらわたしは病んでいることになるのかもしれませんが、本当に病んでいるのは世間かもしれませんよ。

朝です。

 

先月真夏まっただ中の台風が接近している日に実家から大都会TOKIOに舞い戻りました。

ただただ実家にいることが苦しくなったからというのが理由で、生活が変わったというよりも先に環境を変えただけです。だから相変わらず無職でブラブラしていますけれど、以前より苦しくないです。生きててすみません感が薄れている気がします。ずうずうしくなってきたように思います。生き物が生きていくということは別の生き物を殺して生きるということなので、生きることにはずうずうしさが必要です。だからあたりまえの顔をして堂々と生きたいです。そんなことを自分はしてはいけないように感じたりみんなすごいと思うけれど、すごい怖いけれど、わたしも生きていていいのだと働いてなくても社会の歯車から外れていても思いたいです。そこからじゃないと動けないし変われない。

 

いまもずっと何もしたくないです。正確には何かのために誰かのためにとかで努力したくないんです。自分のためにならやってもいいかなと思えます。口にしても文字にしてもずうずうしい考えだな、と罵っている自分がもう一人います。それももうやめにしたいです。分裂している自分を統合させたいです。わたしは今がんばらないことをがんばりたいのです。

 

社会の一部として一生懸命頑張って働いて、つらくても鞭打って頑張り続けて、わたしの友だちは死んでしまいました。わたしは逃げました。もうこれ以上頑張れないと、からだが反応して限界を知らせてくれました。色々心の中は大変だったけれど、誰も悪くなかったんだと思います。自己憐憫に浸るつもりはさんざんしたからもうありません。弱くて、マンボウメンタルでよかった、今日ふとそう思えて、またひとつ自分を認められた気がしてほっとしたのでその気持ちを今書き記しておきます。ありがとう◎

もうだめだという呪文

「もうだめだ」は呪いの言葉であってネットの海に流すための言葉ではないけどほんとうにそうだったら言わないで死んでるからとりあえず言っておけ。ツライ宣言だってしておけ。助からないかもしれないけれど気休めになるんだったらやっておけ。楽になるんなら言っておけ。「〜すべきでない」「〜すべきだ」よりもよっぽど健全だから言っておけ。傷の舐めあいは大キライだからなぐさめの言葉はいらない。なぜツライと思っているのか、その理由がわからないことが怖くて不安だ。この歳で中二病のままでもうどうしようもない。とにかくなにもしたくないしだれにも関わりたくないのだ。無理して今まで関わろうとしてきたし誰かの役に立とうともしてきた。自分のことは助けようとして来なかった。ほんとうはみんなはいいよな、って思っていた。全く子供の考えなので誰にも言えないで苦しかった。わたしの苦しさはわたしにしかわからない。あんたがわたしの苦しさなんて大したことじゃないって言ったとしてもそれはあんたのものさしでしかないからだ。わたしは死にたくない。死ぬという選択を自ら下すことはしないと決めたから。発信したい。作って発信をしたい。これほど強く思ったことは初めてかもしれない。憎しみを昇華させたい。癒されたい。自分を愛したい。だれもわたしの世界に入り込ませたくない。だれにも入ってきて欲しくない。なんという一方通行自慰のようなブログだろう。今こんなものしか発信が出来ない。やりたいはずの作ることすら動く力が湧いて来ない。ということはほんとうにやりたいことではないのだろうかという余計な考えが頭に浮かぶ。

 

これぜんぶ夢だったの。

書きたい欲

書きたい欲は見られたい欲なのだろうと思う。

本当は注目されたい欲。

わたしはわたしにもっともっと素直になった方がいい

今の10000倍くらい素直になった方がいい

恥ずかしいが上回る

 

今日突然ベビーシッターをやることになった。

弟の子供ふたりをわたしの両親が子守りをするはずだったのだけれど、

生後5ヶ月で髪の毛ふさ盛りの赤ちゃん(最初に会った時は毛がすごすぎて額も激狭

だったので少々ぎょっとした)は大人の希望に応えてくれるはずもなく

わんぎゃん泣き続けるので、困り果ててなぜかわたしのところにやって来て

「ちょっと、あんた抱っこして」

と、渡されたが最後、子守りをするはめになった。

しかし赤ちゃんの匂いというのはとてもいい。癒される最上級のかおり。

泣いていてもかわいいし、食べたくなるようなもちもち感。

わたしにも母性が湧きはじめたのかと思いつつ6キロの赤ちゃんをあやす。

ああ、かすかに香るミルクのかほり。うーんおいしそう

 

3歳の兄はよく笑いよく喋る。口が廻りきらないので聞き取り不可能な言葉も話す。

そんなときは適当に話を合わせる。

チャギントン妖怪ウォッチブームらしい。

小さい頃の素直な弟に似ていてかわいい。

3歳はまだミルクの残り香がする!うん、君もいいにおいだ

 

弟とは仲が悪い。すこぶる仲が悪い。

彼が高校生の時までは仲が良かったけれど、大学に入ってから仲が悪くなって

それからはもう悪くなる一方で今は家に遊びに来てもわたしはほとんど口をきかない。

そんな弟も今や2児の父親で、それでも仲があまりよくないのは今もそうだけれど、

今日子供の面倒を見ていたら、なんだかそんなことはどうでもいいことだな、

と思えて来たので子供パワーはすごい、と思った。

 

書けてない

気張って書けない。気張ると書けない。

もう先週のことになる結婚式のことを書きたかった。

こころのなかと外に見せる自分の差異に困惑してる。

上がったり下がったりの波に困惑してる。

弱い自分も情けない自分も見せたくないけど

そんなのとっくに見透かされてるしバレバレなのにね

バレバレでも気丈に振る舞いたい

 

一昨日は谷中に行ったやっぱり好きな町好きな雰囲気

沢山食べて胃もたれしたけど一緒においしいね、

って言い合える人がいるのは楽しくてすてきだ、大好き

 

昨日は新宿人の波がすごくて一人になった途端に見える景色が変わる

タワーレコードに行こうと飛び乗ったエレベーターはぎゅうぎゅうで

途中の階で乗ってきたカップルの女がニヤニヤしているのを見て

わたしの顔に何か付いているのかな、いやだな、と思いながらふと隣りを見たら

ホリエモンが立っていてわっとなった。最近注目してます。

声を掛けることもできず、声を掛けるかかけないかで人生が変わるんだよ。

ってホリエモンは言いそうだな、と思った。

でも何て声を掛けるの?「ファンです」ファンなの?

え、ほんとうに?そうでもなくない?

「最近注目してます」え、誰だよ。何目線だよ。

ホリエモンのいいなと思うところは、なんでもチャレンジする精神と

人を決めつけたりしないところ。

わたしは声をかけるチャレンジをしなかったということだ。

やらない後悔はしないほうがいい。

でもぎゅうぎゅうのエレベーターの中で声をかける勇気は要らないな。

逆の立場だったらはずかしいもの。

 

その後、アスタリスク「Goodbye, Snow White」新釈・白雪姫

http://asterisk-web.net/

を観に行く。東京国際フォーラム

中村うさぎさん原作

「女」であることを考えさせられる。

女の価値は「若さ」

どんなに美しくても若さには勝てない。嫌でも引き摺り降ろされる。

世間の価値観に振り回される。

無垢で無知な若いお姫様を見て、昔自分がそんなお姫様だったことを思い出す。

「それでもわたしは女でいたい」

魔女の悲痛な叫び、強いように見える女の脆さ、歪さが痛く切ない作品。

しかし覚悟を決めて生きていく女の決意のように見えた最後の渾身のパフォーマンスが圧巻だった。

Twitterでマイキーさんの今回の舞台に対する意気込みを読んで

すぐ行くことに決めたんだけど、見ている最中は割とああ、ダンスパフォーマンス

の舞台だなあ、やっぱりそんなに自分の好みじゃないかも。と思っていた。

しかしじわりじわりと心に刺さる。

命がけで舞台を作る人の作品は心に残るものだと感じた。

これで最後かもしれない、全ての華を散らせようと輝くものの美しさは届く。

あー、楽しかった。っていう種類の舞台じゃないけど、観に行って良かった。