いまここね

どんなだってこれが今の自分

自分の世界の主役くらい自分

自分のミューズは自分がいい 

本当は他人を羨んだり嫉妬したりなんて一ミリたりともしたくない

心の貧しさを思い知る瞬間なんて欲しくない

 

今日顔を洗っていた時にふと

人が変わりたいと思った時には観念が必要なんじゃないかと思った

 

もちろん行動することがいちばん必要なんだけど、

変わりたいとただ思っているだけでは変われなくて、

自分の欠点を否定することなく、ああ、自分はこんな嫌なところがあるんだなあ、

って受け止めてしまうことが重要な気がした

受け止めてしまえないと、自分を自分で責めることになる。

「なんでこんな自分なんだろう」

「こんな自分はダメだ!最悪だ!」

となると、果ては死にたくなってきてやる気なんてひとつも起きない。

そうか、ダメなんだな。うん。変わらなくても変われてもどちらでもいいか。

と思えたところからやっと変化をはじめられるような気がした。

 

わたしはずっとこでぶちゃんなんだけど、

人から肥っていることを指摘されたりネタにされることを気にしている。

最近「肥ってても痩せててもどっちでもいいよ」と、肯定されて、

肥っていることを悪としすぎていたな、と思った。

肥っている方が好きだという人もいるし、

明らかに痩せている自分の方が快適なんだけど、

肥っていることを悪にすると=今の自分は最悪だ

ということになってしまう。

そうなると、自分の中にいるもうひとりの自分(こどもの自分)が、拗ねる。

そんなにわたしのことをいじめるならいい子になんてならないもん!もぐもぐ!

本当は良いも悪いもないのにね

 

世の中がね、肥っていることを悪とするから

肥っている人=醜いになってしまうよね。

肥っていても輝いているミューズがもっと出てくれば

渡辺直美さんは素晴らしいと思う)

世の中は肥っていることに寛容になるかな。

わたしは肥っているけど輝けるようになろうと思うんですよ。

わたしもあなたもあなたもあなたもみんな素敵だよね、って言い合える世界がいいよ。

 

水道水を飲んでさよなら

体中が痛い。いつものように床で寝転んだまま寝たから

まだ開催しているから大丈夫だろうと思っていた展示を逃した

まだ大丈夫はいつも危険

ずっと別居していた母が帰って来た

ミネラルウォーターなんて勿体ないから水道水を使いなさい

と言われて浄水器すらついてない水道水を飲む

ああ、水道水

今日はなんだか憂鬱だけれど

憂鬱は意識した途端に増幅するよ

 

友だちがいない

友だちはずっと続かないから新しく作らない限り減る一方しかないよね

会いたくない人が増えるのはわたしの性格が問題だからだろう

悲観するより変化したい

 

今日は1日

映画を観に行こうか。リップヴァンウィンクルの花嫁未だに観に行ってないし。

気になっている展示も原宿でやっている。

 

 

ちょっと苦しい

地震が起きて、テレビが地震速報ばっかりやってて

日本に住んでればどこだって安全じゃないことを思い知らされて

なんかみんなTwitterとかで突然がんばろうニッポンモードになるのに違和感で

地震についての発言が出来ない

そうなると非国民っぽい感じになるんだろうか、何も発言したくないよ

 

今日は、バイトをするために適性テストをさせられて

よくわからない。ふるいにかけられているような気がした。

わたしはその抜け道を探り当てられなかったから落とされていくような、

そんな気がしてちょっと苦しいね。

社会のよくわからないシステムに何の疑問も持たず

組み込まれていってしまうことが恐ろしいよ

それともみんなわかっているのにわたしだけわかっていないんだろうか、

わたしだけ足りてないのだろうか

 

みんなと同じ感覚でいることが求められる世の中であることが怖い

 

どんどん捨てる

カレン・キングストンさんのスペースクリアリング(簡単に言えば断捨利)の本を読んで

いっちょやってみますか!っていうノリで物を捨てはじめて

ポイポイ、ガラクタになってしまったものたちにさよならしているよ。

これがなかなか気持ちがいい。

いちばんすっきりするのは、なかなか捨てられないもの、手放せなかったものを手放した時!

昔の写真とか、当時大切だった人から貰ったものとか、

あー、捨ててしまったんだなあ、

と、思うのと同時に新しいものが入ってくる準備が整った感じがする。

準備整いました!さあどんとこい!という感じ。

 

この前読んだゆるりまいさんの本も捨て意欲が沸くよ。

わたしはあそこまでミニマムな生活は出来ないとは思うけど、

だいすきなものだけで生活を埋め尽くすっていうのはすごくすてき。

わたしもそうしようって思った。

 

あとこの前テレビを見て思ったんだけど、

人はさみしさや不安から物を溜め込んでしまうような気がしたよ。

本当に必要なものってそんなにないし、

死んだら持っていけないし、

災害にあって身ひとつになってしまう可能性もある。

だから別にそんなに大事じゃないな、と思うものはどんどん捨てちゃう。

ばいばい、今までありがとう。

 

ひとりだけ

ひとりだけ毎日のように見にやって来てくれる人ありがとう

何も書いていないblogにやってきて読もうとしてくれている人がいる。

ありがとう。

 

昨日は本当に久しぶりに労働をしたよ。

底辺と言われる労働は、やっぱり我慢の対価でお金を得るんだね。

こんなこと続けられないと心の底から思った。

わたしにしか出来ないことなんて一つもないけれど、

本当に誰でも替えがきいて、人同士が関わっているものだと思えないような

つまり全く冷たさしか感じられないような労働はしたくないな、と改めて思ったよ。

あたたかさの感じない場所はこころもどんどん冷えてしまう。

 

これならがんばってもいい、

これのためならがんばりたい

と、思えないような仕事は続かない。

体調がおかしくなってしまうから。

一度おかしくなってしまったら元に戻すのにも

大変な労力を使うから気をつけなきゃならないと思ってる。

労働をしてみて思ったことは、行動することによって自分の中に変化が生まれるから、

やってみてよかったな、ということ。

こういうやりたくない仕事はなにひとつしたくないから

やって楽しいと思えることを死ぬ気でやるんだね。

 

力みすぎると逆に進めなくなるから気負いしないでさらりと行動。

大切。

 

 

日記

日記って書かなくなると何書いていいのかわからないよね。

そもそも誰かに伝えたいほどのことなんて何もない。

ただ何となく過ぎていってしまう毎日が怖いよね。

 

1月から今まで何もなかったわけじゃなくて、変化はあったけれど、

わたしが感じたことを誰かに伝えられるほどの熱量も語彙もなくてそのままになってしまった。

誕生日がやってきてまたひとつ年を重ねて、桜の咲く季節がやってきて、この間上野動物園に行って

今いちばん大切な人と、桜キレイだねー人多いねー赤ちゃんかわいいねー

って言い合う時を過ごせることが大切だということ。

「イノシシだ!」って言った動物がなぞのクビワペッカリーという動物で

ペッカリーの響きに魅せられて語尾にペッカリーを付けるブーム中。

ペッカリー」って口にするといい響きだよ、

この歳の桜の時期は今しかなくて、この年齢のわたしはもう二度とやって来ないことを

今まであまりにも簡単に通り過ぎて来たことに気付いた。

 

思い出を沢山上書きしたい。

過去に縋って生きていくなんて嫌だ。思い出なんか最悪だって構わない。

常に今が最高な時期でありたい。

今最高?って聞かれたら、ぜんぜん最高じゃないし快適じゃない。

やっぱりやりたいと思っていることすらやらずにいる。

罪悪感でいっぱいだった時期は終わった。

大人なんだから社会の一部にならなきゃと焦ることはもうしなくていいや。

味方でいてくれる人がいるということの安心感は大きい。

わたしはめまぐるしく変わっていく社会の俊速の波に乗れないし、のんびりしていよう。

我慢を続けることはもうしたくないし

毎日を快適に愉快に過ごせることの方が大事だ。

相変わらず人とはまだあんまり関わりたくない。今はそれでいいことにしよう。

 

今日は雨が降っている。

桜が散ってしまいそうだ。

雨の日はちょっと悲しくなるよ。

 

マンガ喫茶に行ってきた

今日具合悪いブログを書いた後、あまりにもひどいんで家にいてもまあたぶん寝ていて一日何もしないで終わるだろうと思ったので、ほんとは昨日行こうかと店先まで行ったのに木曜日がレディスディだということを知って明日にしようとすごすご帰ってきた漫画喫茶に行くことにした。

そこで読もうとしていた本は決まっていたんだけど、なぜか気になった東村アキコの『かくかくしかじか』という本を手に取った。まんが大賞を取っているらしい。

かくかくしかじか 1 | 東村 アキコ | 本 | Amazon.co.jp

内容はネタバレはしないけど、東村アキコ自身の自伝で、恩師の人との出会い、そして自身の思い出したくない過去との対峙というような感じ。

何げなく読みはじめたその本はとんでもなく今の自分にぴったりだった。モラトリアム人間を続けている文句ばかり言ってて今やれることすらやらない人間には突き刺さるようなことばかり描かれている。人の言うことも聞かずにニヒリスト気取った奴(わたしだ!)に喝を入れてくるような内容。それでいてお前もできるから諦めるなと言われて後押しをしてくれているように感じる作品。さっき検索したら女版「マンガ道」だとか書かれていた。

今の自分がひどすぎることはわかっていた。こんなんじゃだめだとずっと思っていた。だけど拗ねて傷ついていればまた戦いに出なくて済む。恐ろしい(と思い込んでいる)他人と接触しないで済む。つまらないけど安全な場所にいさせてくれる親がいる。それでほんとにそろそろアラフォーになってしまう。今まで自分はいったい何をしてきたんだ?この歳になってまで「何もない」と人に愚痴れば誰だって「努力してこなかっただけだろう?」と言うのは当たり前だ。それなのに、そう言われて「傷ついた」と言って拗ねていた自分。バカにもほどがある。めちゃくちゃ恥ずかしいでも仕方ない。

本当は出来なくてもいいから土俵に立ちたいのだ。頑張ったと思える何かが欲しい。でも何も本気でがんばってこなかった。「がんばっている」と口にしても人より全然頑張っていないか頑張りどころを間違えている。本当にがんばりたいことでがんばらなければつらくなるだけだ。少しやっただけで自分には向いていないと口にするくらいなら最初からやらなければいい。ただ黙々と地道に誰よりも沢山目の前のやりたいことをこなすだけなのだ。

戦うときがやってきた。甘えを許す自分との戦いだ。

目の前のことを猛然とやっていれば悩みなんて忘れるしくそくらえ!!!なのだ。