弱かったから今まで生きてこれた
健全です。
何かおかしいのはあたりまえとなっている世間の方かもしれませんよ。
世間の基準と言われる何かからしたらわたしは病んでいることになるのかもしれませんが、本当に病んでいるのは世間かもしれませんよ。
朝です。
先月真夏まっただ中の台風が接近している日に実家から大都会TOKIOに舞い戻りました。
ただただ実家にいることが苦しくなったからというのが理由で、生活が変わったというよりも先に環境を変えただけです。だから相変わらず無職でブラブラしていますけれど、以前より苦しくないです。生きててすみません感が薄れている気がします。ずうずうしくなってきたように思います。生き物が生きていくということは別の生き物を殺して生きるということなので、生きることにはずうずうしさが必要です。だからあたりまえの顔をして堂々と生きたいです。そんなことを自分はしてはいけないように感じたりみんなすごいと思うけれど、すごい怖いけれど、わたしも生きていていいのだと働いてなくても社会の歯車から外れていても思いたいです。そこからじゃないと動けないし変われない。
いまもずっと何もしたくないです。正確には何かのために誰かのためにとかで努力したくないんです。自分のためにならやってもいいかなと思えます。口にしても文字にしてもずうずうしい考えだな、と罵っている自分がもう一人います。それももうやめにしたいです。分裂している自分を統合させたいです。わたしは今がんばらないことをがんばりたいのです。
社会の一部として一生懸命頑張って働いて、つらくても鞭打って頑張り続けて、わたしの友だちは死んでしまいました。わたしは逃げました。もうこれ以上頑張れないと、からだが反応して限界を知らせてくれました。色々心の中は大変だったけれど、誰も悪くなかったんだと思います。自己憐憫に浸るつもりはさんざんしたからもうありません。弱くて、マンボウメンタルでよかった、今日ふとそう思えて、またひとつ自分を認められた気がしてほっとしたのでその気持ちを今書き記しておきます。ありがとう◎