いまここね

どんなだってこれが今の自分

白旗あげてる

今週21日はシブカル祭の映画を観に渋谷に行って、

翌日は千葉の田舎で農作業をした。すごいギャップ。

渋谷はキツい。

シブカル祭では女の子が可愛くキラキラしていて怖くて

畑では虫がゴロゴロしていて日がまぶしくて安心した。

 

農作業のことはすごい色々考えたからもうちょっと書きたいけどうまくまとまらない。

生きる根幹があった。

すごくシンプルで複雑な物が何もなくて気持ちが良かった。

農主の人が面白い人で沢山話してくれた。

農業やってて楽しいと感じたことなんて一度もないし、生きることは辛いことしかない。

と言い切るネガティブ思考の人で、それでもなんとか現状を変えたいから色々やってるって言ってて、

若い頃は水商売をやったり、ヒッピーみたいな生活をしていて、

その先でネイティブアメリカンの修行をしてみたりして、最後に農業に行き着いたという人で、

普段人と喋らない生活をしているのが爆発したみたいに沢山色んなことを話してくれて、

とにかくすごい強いエネルギーを持ってる人だと思った。

生きることは戦いだ。命がけで生きている人間が今の日本にはいない。

というようなことも言っていた。

戦えない人は離脱してどこにいきつくのだろうと思った。

わたしは自分で食べて行く術を探したいと思っている。

 

その人からしてみてもどんな人からして見たとしてもわたしの生活は

「甘えている」とその一言で片付く。

けれど、甘えていたい。悪いけど、開き直っていたい。

もうびくびくと人の目を気にして、人に迷惑をかけないようにとがんばるのは嫌だ。

戦いたくない。完全敗北宣言して白旗あげてる。

完全な社会不適合者だ。

それでも間をくぐり抜けて生きる道を切り開いて行きたいという想いがある。

何かと競っていたくない。そんなの怖いし。

だから自分が出来ることだけしか努力したくない。

でも肩肘はって努力するのも嫌だ。

 

なまけものになりたくなくて努力してきたけれどもうなまけものと呼ばれていい。

かっこうつけたって化けの皮なんてとっくにはがれてる。

生まれてすみませんが、死ぬまで食らいついて生きてやる。

くらいの意気込みだけは死なないために必要ってことかな。

よくわからない。ぐるぐる。

とりあえずもう引きこもってうじうじする時間は終わりだと思った。